2024年に衆議院選挙で見事当選した「もりした千里」さん。
元レースクィーン、グラビアアイドル、タレントなどで活動していた森下千里さんが、なぜ愛知県から宮城県石巻市に移住することになったのか。
2021年の衆議院選挙での落選を乗り越え、2024年の選挙で見事当選を果たすまでの軌跡と、その背景にある思いを調べてみました。
どうぞ、最後までご覧になってください。
森下千里は愛知県の出身
森下千里さんは名古屋出身で、小学校から高校まで愛知県で過ごしました。
大学は名古屋学院大学経済学部経済学科に進学したものの1年で中退しています。
このように、森下千里さんの生活の拠点は長年愛知県でした。
↓↓↓もりした千里さんのプロフィールなどはWikipediaで御覧ください。
森下千里はなぜ石巻移住?背景にある自民党の事情
森下千里さんが宮城県石巻に移住することとなった大きな原因というのは、自民党内での衆議院選挙候補者の空席があったことなのです。
当時の宮城の自民党候補者は衆議院選挙前に突然、石巻市長選への出馬を決めたのです。
そのことを受けて党は新たな候補者を探す必要に迫られました。
自民党は、森下千里さんが過去に石巻で震災支援を行っていた経験があったことを知り、政治にも関心を持っていることを評価して白羽の矢を立てました。
森下千里は震災支援の経験から政治家としての道を決意
森下千里さんは2011年の震災後、被災地でボランティア活動に参加し、炊き出しや物資提供などの支援活動を行っていました。
その際、被災者との交流を深め、地域の素晴らしい自然にも強く心を惹かれていました。
本人は「私は愛知県出身で、被災地とは直接の縁があるわけではありません。でも、実際に現地に足を運び、多くの被災者の方々の話を聞いて、彼らのために何か出来ることをしたいと思いました」と語っています。
2021年、震災から10年という節目の年を迎え、「震災の悲劇を風化させないように、自分ができることがあるのではないか」という思いから政治の道を決意したと言っています。
2021年「もりした千里」は宮城5区から衆議院選挙への挑戦
2021年4月に石巻に住民票を移した森下千里さんは、同年10月末の衆議院議員選挙に自民党公認で宮城5区から出馬しました。
出身地と立候補地の違いから「落下傘候補」としての批判も受け、この選挙では落選という結果に終わりました。
落選後も地道な活動で地元の信頼を獲得
落選後も石巻に住み続け、地元の信頼獲得に努めました。
「辻立ちクイーン」を自称し、1600回以上もの街頭活動を行いました。
雨の日も風の日も、猛暑も厳寒も関係なく続けた活動は、次第に地元の人々の心を動かすようになっていきました。
2024年、「もりした千里」は衆議院議員に当選!新たな一歩踏み出す
森下千里さんの地道な活動の成果もあり、2024年の衆議院選挙では自民党の比例東北ブロックで単独2位という高い順位を獲得していました。
そして衆議院選挙ではみごと当選を果たしたのでした。
自民党全体が苦戦を強いられ、議席数が過半数を割り込む中での健闘は、彼女への高い評価と地元住民の彼女に対する期待を示すものとなったようです。
【まとめ】森下千里は石巻に移住したのはなぜ?宮城からの選挙に臨んだ理由とは
いかがでしたでしょうか。
森下千里さんの石巻移住というのは、突然の自民党からの要請がきっかけでした。
しかし、森下千里さんの震災支援での経験と地域への思い入れ、そして移住後の地道な活動や地元の方々とのふれあいこそが住民の信頼を獲得して最終的には当選につながったのだと思います。
若い方の頑張りに期待したいと思います。
頑張って!
#若者の笑顔を無くすな!
ここまで読んでいただきまして誠にありがとうございました。